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松浦隆信 (平戸藩主) : ミニ英和和英辞書
松浦隆信 (平戸藩主)[まつら たかのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [うら]
 【名詞】 1. inlet 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [はん]
  1. (n,n-suf) fiefdom 2. domain (precursor to current prefectures) 
藩主 : [はんしゅ]
 【名詞】 1. feudal lord 2. daimyo 
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 

松浦隆信 (平戸藩主) : ウィキペディア日本語版
松浦隆信 (平戸藩主)[まつら たかのぶ]

松浦 隆信(まつら たかのぶ、天正19年11月29日1592年1月13日) - 寛永14年5月24日1637年7月16日))は、江戸時代前期の大名。平戸の松浦氏第28代当主。肥前平戸藩第3代藩主。曾祖父の道可と同名を名乗った。
第2代藩主松浦久信の長男。母はキリシタン大名大村純忠の娘ソニカ(松東院)。正室は大胡藩牧野康成の娘、継室は大村喜前の娘。官途は従五位下、肥前守、壱岐守。
== 略歴 ==
慶長7年(1602年)、父久信の死により12歳で家督を相続、祖父鎮信(法印)が後見した。
慶長8年(1603年)、初めて将軍徳川家康に拝謁する。
慶長17年(1612年)9月、従五位下・肥前守に叙任された。また本姓が豊臣姓であることが確認される〔村川浩平『日本近世武家政権論』、近代文芸社、2000年、41頁。〕。
慶長18年(1613年)、平戸城の一部が焼失する。隆信は幼少時に父によって受洗していたが、この年に江戸幕府禁教令が出たことで棄教した。
慶長19年(1614年)、城普請に関して駿府の家康に召され、領内のキリスト教の寺院の破却を命じられた。同年、鎮信が死去し、それを機に対外政策を変更した。
元和元年(1615年)、国許より大坂夏の陣に出陣。5月11日に到着した時には本戦は終わっており、二俣城で家康に拝謁。徳川秀忠より所領安堵の朱印状を貰い、以後10年江戸に住む。寛永6年(1629年)、領国に戻る。
寛永14年(1637年)没し、下谷広徳寺に葬られた。法号は正宗院殿前壱州大守向東宗陽大居士。墓所は平戸市正宗寺にもある。
跡は長男重信(鎮信、天祥)が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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